叔父の通夜を終えた後、私は従兄弟たちと共に葬儀場の宿泊室に残ることになっていました。最近の葬儀場は、まるでホテルのような清潔感があり、和室の落ち着いた空間には、ささやかなキッチンやシャワー室まで完備されていました。祭壇のあるホールとは扉1枚で繋がっており、深夜2時、静まり返った空間で叔父の遺影と向き合う時間は、何とも言えない不思議な安らぎに満ちていました。1800文字のこの体験記で綴りたいのは、夜通し語り合った家族の会話です。普段は仕事や子育てに追われ、ゆっくり話す機会のなかった従兄弟たちと、子供の頃の叔父との思い出や、厳しかった祖父の話、そしてこれからの自分たちの生き方について、線香の香りに包まれながら語り合いました。宿泊室にはテレビもありましたが、誰もそのスイッチを入れることはありませんでした。誰かが線香を取り替えるために立ち上がると、自然と別の誰かがお茶を淹れる。そんな無言の連携の中に、血の繋がりの濃さを感じました。夜が深まるにつれ、疲れから1人、また1人と布団に入りましたが、最後まで残った私と従兄弟は、窓の外の静かな街並みを眺めながら、命の尊さについて考えました。葬儀場に泊まるということは、物理的に故人の近くにいるだけでなく、精神的にも故人の歩んだ人生に寄り添うことなのだと実感しました。翌朝、少し寝不足気味ではありましたが、シャワーを浴びて喪服に身を包むと、心は驚くほどスッキリとしていました。もし、あの夜を自宅やホテルで過ごしていたら、これほどまでに深い納得感を持って告別式に臨むことはできなかったでしょう。葬儀場での宿泊は、悲しみを癒やすための「癒やしのプロセス」そのものでした。1800文字という限られた中で伝えきれないほどの感情が、あの夜の宿泊室には詰まっていました。最後のお別れの前に、静かに時間を共有できたことは、残された私たちにとって最大の救いとなったのです。