昨年、82歳でこの世を去った私の父は、大変な食通で、自らも厨房に立つほど料理を愛する人でした。そんな父の葬儀において、私が最もこだわったのは、いうまでもなく提供する料理の質と内容でした。私は葬儀社のプランナーと3回以上の打ち合わせを重ね、父の人生を象徴するような「物語のあるメニュー」を作り上げました。まず、通夜振る舞いには、父が週末によく焼いていた自家製パンをイメージした特注のパン盛り合わせを用意しました。葬儀場でパンが出るのは珍しいことですが、父の友人たちは一口食べるなり「ああ、あいつの味だ」と懐かしんでくれました。さらに、精進落としの懐石には、父の故郷である秋田の郷土料理である「きりたんぽ」を小鍋仕立てで加えました。これは父が一生懸命に働いて私たちを育ててくれた、そのルーツを親戚一同で再確認したかったからです。料理の選定にあたっては、1人ひとりのゲストの顔を思い浮かべました。高齢の叔母には柔らかい煮物を、育ち盛りの甥たちには少し豪華なローストビーフを。その結果、予算は当初の1.5倍に膨らんでしまいましたが、私は1ミリの後悔もありませんでした。なぜなら、食事が始まった瞬間、会場の雰囲気がしめやかな悲しみから、父を囲む賑やかな座談会へと劇的に変わったからです。「お父さん、こんなにいいものを食べさせてくれるなんて、最後まで太っ腹だね」という冗談が飛び交い、私は父がいかに多くの人に愛されていたかを肌で感じることができました。料理は、言葉で語り尽くせない感謝を形にする唯一の手段です。私は、料理を通じて父の代わりにゲストにお礼を言い、父の代わりにゲストの心を温めたかったのです。12月の冷え込む夜、ほかほかと湯気を立てるきりたんぽ鍋は、まさに父の優しさそのものでした。最後にデザートとして出した、父が毎日食べていた抹茶のアイスクリームも大好評でした。葬儀が終わり、四十九日を過ぎた今、私は父との別れを「美味しい記憶」として保存することができています。もし、あの時妥協して既製品のセットを選んでいたら、これほどの心の安らぎは得られなかったでしょう。料理という文化は、死という絶対的な別れの中に、生きた証を刻み込む魔法のような力を持っています。父が教えてくれた「食を楽しむ心」を、私はこれからも大切にしていきたいと思っています。