父が亡くなったのは、真夏の日差しが厳しい日のことでした。生前から「俺が死んだら、面倒なことはするな。できるだけ簡潔に頼む」というのが口癖だった父。その遺志を尊重し、母と私、そして弟の三人で話し合い、私たちは父の葬儀と納骨を同じ日に行うことを決めました。私たちの親戚は、九州や北海道など、全国に散らばっています。父の葬儀のために、ただでさえ遠路はるばる集まってくれる親戚たちに、四十九日にもう一度来てもらうのは、あまりにも申し訳ないと感じたのが一番の理由でした。幸い、父が数年前に建てたお墓は、実家から車で三十分ほどの場所にあり、準備は万端でした。葬儀社の担当者の方に相談すると、お寺や石材店との連携もスムーズに進めてくれ、私たちは安心してその日を迎えることができました。告別式が終わり、父の棺が霊柩車に乗せられる時、私は言いようのない寂しさに襲われました。しかし、悲しんでばかりはいられません。火葬場での骨上げを終えた私たちは、マイクロバスに乗り込み、親戚一同で父のお墓へと向かいました。真夏の太陽が照りつける中、僧侶の厳かな読経が始まりました。石材店の方がお墓の納骨室の蓋を開け、父の遺骨が、先に眠る祖父母の隣にそっと納められた時、私の目から涙が溢れ出しました。ああ、これで本当に父は、ご先祖様のところへ還っていくのだなと。寂しさと同時に、不思議な安堵感があったのを覚えています。すべての儀式が終わり、会食の席で、北海道から来てくれた叔父が母に言いました。「姉さん、大変だっただろう。でも、こうして皆で一緒に墓前まで見送ることができて、本当に良かったよ。あいつも喜んでるはずだ」。その言葉に、私たちの選択は間違っていなかったのだと、心から思いました。もちろん、家に父の遺骨がない夜は、がらんとして寂しく感じました。しかし、あの猛暑の中、親戚たちが何度も集まる負担を考えれば、私たちの決断は父の「面倒はかけるな」という言葉に沿った、最良の親孝行だったと信じています。